とまとニュース電子版 2007年8月分

 とまとニュースは、「しんぶん赤旗」折り込みで読者の方にお届けしているトマ孝二事務所ニュースです。
 トマ孝二ホームページでは、その主要な記事をご紹介しています。

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No.864 2007年8月26日

新潟県中越沖地震で大きな被害をうけた柏崎市
発生から1カ月を経て復興も着実に進んでいるが…

 トマ孝二議員は、16日午後から18日にかけて、新潟県中越沖地震によって大きな被害をうけた新潟県柏崎市を訪ね、実地調査し、渋谷区で生かすべき教訓などについて学んできました。
     ◇
 新潟県中越沖地震が発生したのは7月16日、海の記念日の連休の月曜日午前10時13分のこと。震度6強の強烈な地震でしたが多くの人が起き出し、火の使用も少ない時間帯・季節で家事がほとんどなかったことは幸いでした。
 JR信越本線は長岡・柏崎間は復旧していましたが、その先は不通で柏崎駅から振り替えバスの輸送となっていました。私の乗った快速電車は地震の影響による徐行運転のため30分のところ、40分もかかりました。
がんばろう輝く柏崎
 柏崎市に着くと、地震発生から1カ月後ということもあり、道路はほぼ復旧し、電気、水道、ガスも回復。しかし、ガスが復旧せず閉店している飲食店も。店舗や公共施設の窓や壁に「がんばろう輝く柏崎」のスローガンがいたるところに張られ、市民みずから気力を出し、災害に立ち向かおうとしている気持ちがにじみ出ていました。
 柏崎市の16日までの人的被害は死者10人、けがは1339人。建物の被害は全壊住家789、非住家2166棟。大規模半壊住家318、非住家246棟。半壊住家1976、非住家1979棟。一部損壊住家24017、非住家19310棟で、その合計数は43329棟。柏崎市の総棟数は61380ですから、建物の70.5%が破壊されたのです。
神社が傾き鳥居も…
 実際、市内を回ってみると、古い木造の家がぺしゃんこに崩れたままになっていたり、赤い紙の「危険」、黄色い紙の「要注意」の張り紙の家が軒並みならんでいるところがあり、「調査済み」張られて安心して生活できる家はあまりない感じでした。
 原子力発電所に接する荒浜地区では、諏訪神社が傾き、鳥居の大理石や石灯ろうが崩れ、また近くの墓地も墓石が散乱したままの無残な状態でした。
 避難者はピーク時は11410人にのぼり、避難所も82カ所ありましたが、1カ月後には避難所は44カ所、避難者は561人に減りました。仮設住宅の入居も始まっていましたが、柏崎小学校体育館の避難所で会った77歳の独り暮らしの女性は「家は傾いていて荷物を取りに入ることもできない。早く仮設住宅に入りたい。ここは大勢の人と生活しているので夜、落ち着いて眠ることができず、もう限界です」と訴えていました。
高齢者の犠牲を出さない
 柏崎市で地震によって家が壊され、その下敷きになって死亡したのはすべて高齢者。古い木造住宅の耐震補強工事の推進が急務となっています。しかし、渋谷区でも耐震補強工事が昨年の7月の制度発足以来、実施されたのは16軒だけ。柏崎市で屋根瓦と壁土だけの崩れた家々を目の当たりにして、高齢者の犠牲を出さないために、より利用しやすい助成制度とすることや援助の新たな方法を生み出すことの必要性を強く感じました。

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平和憲法を守りぬくため、いっそう活動を強化
臨時国会はテロ対策特別措置法の延長を許さず

 8月15日は、62回目の敗戦記念日。日本共産党は、侵略戦争の犠牲になったすべての人々に哀悼の意を表するとともに、とくに、アメリカの無法な戦争への加担を続け、憲法9条を変え、再び日本を戦争する国にしようとする自公・安倍政権と対決し、憲法を守りぬくためにいっそう活動を強化していく決意です。
     ◇
 先の参議院議員選挙では、「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、過去の侵略戦争を正当化し、憲法改定を最優先課題として押しつけた安倍政権に対し、国民は危惧と批判を示し「安倍政権ノー」の審判を下しました。
 じっさい、自民党は参議院議員選挙のマニフェストの「155の約束」の第1に「3年後の国会において憲法改正の発議をめざす」を公約にかかげ、選挙をたたかいました。
 しかし、投票日の開票中に、TBS系のテレビネットワークが投票所の「出口調査」結果を放映。そこでは「『戦後レジームからの脱却』に共感ができるか」の質問に「できない」と50.8%が答えています。「憲法改正に共感できるか」との質問については61.9%が「できない」と答えています。
 ところが安倍首相は、選挙後の記者会見で「年金問題などがあったため、選挙戦で憲法問題について十分な議論ができなかった」として「国民とともに今後も議論を続けていく」と、なおも憲法改悪の野望を持ち続けています。
 9月に開かれる臨時国会では、11月1日に期限が切れるテロ対策特別措置法が焦点。この法律は、アメリカなどによるアフガニスタンへの報復戦争を支援するために自衛隊をインド洋に派兵した根拠法とされてきたものです。
 6年におよぶ報復戦争によって生まれたものは、テロの根絶ではなく、アフガニスタンでタリバン勢力が復活したことが示しているようにテロの温床を拡大し、テロを国際的に拡散したことです。
 テロ対策特別措置法は、国連憲章を踏みにじったアメリカによる報復戦争を日本国憲法の原則を破って支援する無法な枠組みです。
 日本共産党は、テロ対策特別措置法の延長を許さず、インド洋に派兵した海上自衛隊の撤退をめざし、野党が共同してたたかうため奮闘します。
 また、憲法審査会の設置を許さず、憲法改定案を策定させないために、全国に草の根で広がっている「九条の会」の運動を大いに発展させていきます。
 日本共産党は、参議院議員選挙の結果と62回の敗戦記念日を踏まえ、憲法9条を守り、世界とアジアの平和に貢献していくため、全力をあげることを誓うものです。

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「渋谷区地域防災計画」の修正方針が定まる
能登半島、新潟県中越沖地震の教訓を踏まえた計画に

 7月27日に開かれた第1回渋谷区防災会議で東京都が修正をすすめている「東京都防災計画・震災編、風水害編」の概要についての説明がおこなわれ、それにもとづいた「渋谷区地域防災計画修正方針(案)」について報告されました。その「方針(案)」のおもな内容をお知らせします。
     ◇
 「渋谷区地域防災計画」は、阪神・淡路大震災を契機として1996年に大幅な修正がおこなわれました。その後、1997年に東京都防災会議が発表した東京における直下型地震の被害想定を踏まえ、「東京都地域防災会議」の修正内容を生かし、1998年、2002年にそれぞれ修正がおこなわれました。
 また、新潟県中越地震から得た教訓にもとづき、2005年には「東京都地域防災計画」の修正がなされる前に、備蓄品、災害用トイレの充実等の「渋谷区地域防災計画」の修正が実施されました。
 今回の「渋谷区地域防災計画」の修正にあたっては、東京都が2006年度におこなった新たな直下型地震による被害想定をもとに修正した2007年の「東京都地域防災計画」の内容を踏まえて作成されます。
 そして、2005年に渋谷区がおこなった震災基礎調査の結果や最近発生した能登半島地震、新潟県中越沖地震等における災害状況等にもとづき、下記の項目を重点として、修正をおこなうことが提起されました。
<震災編>
①死者、避難者の減をはかる
 ・建物の耐震化および家具類の転倒防止策の推進
 ・木造住宅の密集地域の不燃化の促進
②発生状況に応じた計画の見直し
 ・初動体制の見直しおよび発生後の時間経過に応じた対応の明確化
③要援護者対策の拡充
 ・要援護者支援計画・マップの作成
④都市災害対策の強化
 ・帰宅困難者に対する支援
⑤避難所運営の見直し
 ・備蓄品の見直し
 ・高齢者、障害者、妊産婦・幼児に対する支援の強化
 ・避難所環境の改善・見直し
<風水害編>
①局地的集中豪雨対策の強化

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自公・安倍政権の悪政に怒り ノーの大審判
大激動の政治情勢を切りひらいた参議院選挙

 7月29日投・開票がおこなわれた第21回参議院議員選挙は、自民党が歴史的な大敗を喫するという結果となりました。日本共産党は、自民・公明党の安倍政権の悪政を追いつめ国民の怒りの審判を引き出すうえで大きな役割を果たしましたが、それが議席に結ばず、3議席にとどまるという結果となりました。
 昼夜わかたず日本共産党の勝利のために奮闘していただいた支持者をはじめ、多くの人々に感謝するとともに、5議席から3議席に後退したことについて深くお詫びをしたいと思います。今回のたたかいの教訓を生かし、次の総選挙では必ず勝利するためにがんばります。引き続きのご支援、ご協力をよろしくお願いします。
 今回の選挙で示された有権者の審判は、安倍・自公政権の国民に痛みを押しつけ、ふたたび戦争する国に変えようとする悪政にきっぱりと拒否の意思を表したものです。
 それだけに、大勝した民主党の今後の立場と行動に対し、国民のきびしい視線が注がれることになります。国民的期待にそむけば、新たな政治的激動になることは、90年代初頭の「非自民」政権の出現と崩壊で経験ずみです。
 今回の選挙で「悪政ノー」の有権者の意思と思いが民主党になだれ的に吸収されましたが、今後の政治状況のなかで、各政党の値打ちが改めて問われることになり、悪政に立ち向かう日本共産党の活動がますます重要となります。
 東京の私たちのたたかいは、選挙区では前回より約10万票伸ばし、55万4104票を獲得したものの田村智子さんを当選させることができなかったことは、たいへん残念です。支持していただいた皆さんに申し訳ない結果となりました。しかし、次回の議席奪還に向けての土台をきずく成果を得ました。
 比例区では、55万4601票獲得しました。前回の51万9531票から約3万6千票伸ばすことができました。日本共産党の比例区の伸びは約4万5千票で大半が東京で占めています。
 私たちの暮らしと平和憲法を守ろうのたたかいは議席増に結びつくことはできませんでしたが「悪政は許さない」という世論をつくり、安倍政権への痛打を浴びせるものとなりました。そして歴史的な激動の情勢をつくりだす力となりました。そのことに確信をもって次のたたかいに進んでいきたいと思います。
 小泉劇場・郵政民営化の総選挙から間もなく2年になります。次は総選挙です。このたたかいで必ず勝利するために新たな決意でがんばります。

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